ルイ14世の死

SYNOPSIS

ルイ14世の苦しみは1715年8月9日に始まり、9月1日に終わった。その死は、72年に及ぶ、フランスの歴史において最も長い治世の終わりを意味した。代々の医師による公式記録「王の健康日誌(Le Journal de la Santé du Roi)」には、ルイ14世の健康は不安定で何度も死にかけた事があると明らかにしている。5歳の頃には梅毒によって、35歳では悪性の発熱によって、45歳では瘻(ろう)によって、70歳では壊疽を伴う糖尿病の合併症によって。1715年8月、ルイ14世はまもなく77歳となろうとしていた。そしてその体には、心不整脈から引き起こされた左脚の塞栓症によって壊疽がはじまろうとしていた。

◆ ◆ ◆

マルリーでの狩りから戻った王は、疲れ果てて見えた。
翌日、王は左脚の痛みを訴える。侍医ファゴンは坐骨神経の病と診断する。
王は痛みをこらえながらも公務についていたが、夜になると痛みは増し、食事を摂ることもほとんどなくなり、日々、体は弱っていった。

宴の席で、王は疲れているように見えた。それでも、帽子をとって挨拶し、貴族たちの前でビスケットを食べて見せた。しかし、夜になると左脚の痛みは激しさを増した。

王の健康が突然、悪化する。パリ大学の4人 の医者が王の病状を診るためにやってくる。彼らは王の脚の変色を危ぶみ、瀉血をすすめるが王はファゴンの診断を受ける。
それから数日、左脚の壊疽が明らかに見てとれるようになるが…

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