人間、最後の最後までわからない。

2019年サンパウロ国際映画祭批評家賞 最優秀男優賞 2019年プンタデルエステ国際映画祭観客賞 最優秀男優賞

ぶあいそうな手紙

カエターノ・ヴェローゾの名曲と鮮やかに練られた脚本

ブラジルから届いた可笑しくて温かい愛のお話

予告編 映画前売り券はらくらくネット通販 日本マテ茶協会バナー

視力を失いつつある独居老人「78歳のエルネスト」と手紙の読み書きを頼まれたブラジル娘「23歳のビア」 心を隠した手紙でいいの?エルネストが最後に宛てた手紙の相手とは?

ユーモアが思いもかけない感動の涙に変わる。 可笑しくて温かくて、ラテンアメリカらしい愛のお話。

ブラジル南部、ポルトアレグレの街。エルネストは78歳の独居老人。隣国ウルグアイからやって来て46年。頑固で融通がきかず、本が好きでうんちく好き。老境を迎え、ほとんど目が見えなくなった。もうこのまま人生は終わるだけ。そう思っていたある日、一通の手紙が届く。差出人はウルグアイ時代の友人の妻。エルネストは、偶然知り合ったブラジル娘のビアに手紙を読んでくれるように頼む。「手紙の読み書き」のため、一人暮らしのエルネストの部屋にビアが出入りするようになるが……それは、エルネストの人生を変える始まりだった。
黄色いジャケット ワケありのビア、唯一心を許せる隣人ハビエル、昔の友人の妻ルシア、折り合いの悪い息子のラミロ……。 心を正直に伝えられないエルネストが最後に宛てた手紙の相手は?

名作『苺とチョコレート』の原作者も協力、素晴らしい脚本は映画をこんなに面白くする。

ラテンアメリカ有数の映画祭で観客賞、最優秀男優賞、批評家賞を受賞。“素晴らしい脚本は映画をこんなに面白くする”という原点を思い出させる本作は、映画史に残るキューバ映画の傑作『苺とチョコレート』の原作小説で知られる作家セネル・パスが 脚本に協力したことでも話題になった。

トークイメージ

ラテンアメリカのレジェンドが結集、カエターノ・ヴェローゾの名曲が映画を彩る。

東京国際映画祭グランプリのウルグアイ映画『ウィスキー』(04)で知られる舞台の名優ホルヘ・ボラーニ演じるエルネストを始めとする個性派俳優達の見事なアンサンブル。ブラジル音楽のレジェンド、カエターノ・ヴェローゾがアルバム『粋な男』に収録した名曲「ドレス一枚と愛ひとつ」の使い方も絶品。

ピアノのかげに隠れる

CAST

  • ホルヘ・ボラーニ
  • ガブリエラ・ポエステル
  • ジュリオ・アンドラーヂ
  • ホルヘ・デリア
ハグ
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STAFF

  • 監督・脚本 アナ・ルイーザ・アゼヴェード
  • 脚本 ジョルジ・フルタード
  • 音楽 レオ・ヘンキン
  • 脚本協力 セネル・パス
  • 挿入歌「ドレス一枚と愛ひとつ」カエターノ・ヴェローゾ
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ホルヘ・ボラーニ(エルネスト)

ホルヘ・ボラーニ(エルネスト)

1944年、ウルグアイのモンテビデオ生まれ。1972以来、演劇、映画、テレビで活躍している名優。モンテビデオ劇場芸術学校で演技を学ぶ。コメディア・ナシオナルはじめ数々の劇場に出演し、1997年には演劇界への功績を称えたモロソリ賞と、同年の最も優れた俳優としてイリス賞が贈られ、2001年にはフロレンシオ賞最優秀男優賞も受賞。映画作品では、カンヌ国際映画祭でセンセーションを巻き起こし、東京国際映画祭グランプリに輝いた『ウィスキー』(2004)で靴下工場を営む主人公ハコボの弟エルマン役を演じて絶賛された。他にも多数のウルグアイ、チリ、アルゼンチン、ブラジルの映画に出演。本作では、プンタデルエステ国際映画祭で最優秀男優賞を受賞。

ガブリエラ・ポエステル(ビア)

ガブリエラ・ポエステル(ビア)

映画の舞台であるポルトアレグレ出身。UFRGS大学で舞台演出を修了。カサ・デ・テアトロ・デ・ポルトアレグレで演技を学び、デンマークのカレッジに留学。演技だけでなく舞台演出も手がける。これまでの受賞の中には、舞台『A Coisa no Mar(海にあるもの)』(2014)の女優賞や短編映画『Bruxa de Fábrica(工場の魔女)』(2015)でのグラマード映画祭最優秀女優賞などがある。今後の活躍がさらに期待される若手女優。

ジュリオ・アンドラーヂ(ラミロ)

JULIO ANDRADE (Ramiro)

1976年、ポルトアレグレ生まれ。35を超える映画とTVシリーズに出演し、多数の受賞歴をもつ実力派のブラジル人俳優。短編映画でキャリアをスタートし、その中には本作のアナ・ルイーザ・アゼヴェード監督の『A Importância do Currículo na Carreira do Ator(俳優のキャリアにおけるカリキュラムの重要性)』もある。長編映画『Cão Sem Dono(飼い主のいない犬)』と『Hotel Atlântico(ホテル・アトランティコ)』(2009)で主役を演じて高く評価される。『ゴンザーガ〜父から子へ〜』(2012/ブラジル映画祭で上映)や『Serra Pelada (裸の山)』(2013)で数々の俳優賞を受賞。テレビドラマ『Sob Pressão(圧力のもとで)』(2017)と『1 contra Todos(1対全て)』(2015)では国際エミー賞最優秀俳優賞にもノミネートされている。

ホルヘ・デリア(ハビエル)

JORGE D'ELIA (Javier)

1938年、アルゼンチンのブエノスアイレス生まれ。俳優、作家、劇作家。数々の自身の戯曲に主演しており、その評価は高く、第1回マッティナータ劇場ナシオナル賞を受賞している。3つのアンソロジーを掲載した短編小説集も文学賞を受賞。多彩な才能を持つ文化人として知られている。映画には、日本公開された『僕と未来とブエノスアイレス』(2004)やリオデジャネイロ国際映画祭で助演男優賞を受賞した『VIPs』(2010)などがある。

監督・脚本:アナ・ルイーザ・アゼヴェード

Ana Luiza Azevedo - Director and Screenwriter

1959年、ポルトアレグレ生まれ。UFRGS大学、ブラジル美術学科卒業。制作会社カサ・デ・シネマ・デ・ポルトアレグレの創設メンバー。1984年から映画界で働き始める。ドキュメンタリー『Ventre Livre(自由な子宮)』(1994)で注目され、本作の共同脚本家であるジョルジ・フルタードが脚本を書いた短編劇映画『3 Minutos(3分間)』(2000)でカンヌ国際映画祭短編映画部門に選ばれる。自ら脚本を手がけた『Dona Cristina Perdeu a Memória(記憶をなくしたクリスティーナ夫人)』( 2002)はブラジリア映画祭、グラマード映画祭などでグランプリを受賞。同じく自身の脚本による初長編作品『世界が終わりを告げる前に』(Antes que o Mundo Acabe/2010/ブラジル映画祭2012、あいち国際女性映画祭2012上映)では、ポルトアレグレ郊外の田舎町に暮らす高校生たちを主役に多感な時期の心の変化を丁寧に描き、2009年サンパウロ国際映画祭優秀長編ブラジル映画賞はじめ、国内外の数々の賞に輝いた。本作でサンパウロ国際映画祭批評家賞、プンタデルエステ国際映画祭観客賞を受賞。

脚本:ジョルジ・フルタード

Jorge Furtado – Screenwriter

1959年、ポルトアレグレ生まれ。テレビ局でキャリアをスタートし、その後、本作の監督アナ・ルイーザ・アゼヴェード、ジョゼ・ペドロ・グーラートらと制作会社ルス・プロダクションを設立し、映画、演劇、CMを幅広く手がける。1987年、制作会社カサ・デ・シネマ・デ・ポルトアレグレを創設。ベルリン国際映画祭最優秀短編作品賞を受賞した『Ilha das Flores(花の島)』(1999)や数々の賞に輝いた『コピーオペレーター』(2003/ブラジル映画祭2006)、『Meu Tio Matou um Cara(僕のおじさんは男を殺した)』(2005)、『Rasga Coração(涙の心)』(2018)など多数。テレビドラマでも国際エミー賞などを受賞。現在に至るまで精力的に作品を発表し、そのコメディとユーモアのセンスに定評がある。

音楽:レオ・ヘンキン

Leo Henkin – Music

1993年にポルトアレグレで結成されたポップロックバンド、パパ・ダ・リングアのギタリスト、作曲家。バンド結成前から映画音楽を手がけ、これまでに本作の監督アナ・ルイーザ・アゼヴェードの『Ventre Livre(自由な子宮)』(1994)や脚本のジョルジ・フルタードの監督作『コピーオペレーター』(2003)を含め、短編、ドキュメンタリー、テレビ映画まで幅広く楽曲を提供している。パパ・ダ・リングアはブラジル南部で人気が高かったが、2019年にヴォーカルの脱退で解散した。

脚本協力:セネル・パス

Senel Paz

1950年生まれ。キューバの作家、脚本家。ラテンアメリカ映画史に残る傑作『苺とチョコレート』(1994)の原作『狼と森と新しい人間』(1991/邦訳題は『苺とチョコレート』集英社刊行)の作家。フアン・ルルフォ賞を受賞した原作小説を作家自身が脚色した『苺とチョコレート』は映画化の前に、新ラテンアメリカ国際映画祭(ハバナ映画祭)脚本賞を受賞しており、その受賞が映画化を潤滑にしたという。監督はキューバの名匠トマス・グティエレス・アレアで、パスは脚本のみならず、俳優たちに物語の詳細を説明し、作品を補う様々な提案を行い、映画に深く関わった。 現在も執筆活動のほか、キューバ内外で映画の脚本の指導などにあたっている。

カエターノ・ヴェローゾ

Caetano Veloso

1942年、ブラジル北部のバイーア州生まれ。すぐ下の妹は歌手のマリア・ベターニア。ジルベルト・ジル、ガル・コスタ、トン・ゼー、シコ・ブアルキなどの音楽仲間たちと共に「トロピカリア」(トロピカリズモ)と呼ばれる音楽ムーブメントを生み出した。これは、ブラジルのポピュラー音楽と欧米のロックンロールをミックスした、よりインターナショナルでサイケデリックな音楽で、社会運動的なエネルギーも持ち合わせていた。そのためカエターノはブラジルの軍事政権にたびたび検閲され、1969年にロンドンへ亡命。1972年に帰国した後も、つねに先端を行くサウンド性で音楽ファンを驚かせ、後年にはブラジルの伝統的スタイルやリズムを取り入れたり、幼少期に馴染んだ古いスタンダードに新しい魅力を加えたり、幅広い才能を見せている。その豊かな音楽性と艶やかなヴォーカルで、現在に至るまでブラジル音楽のレジェンドとして世界中に多くのファンを持つ。

ポルトアレグレ

本作の舞台。ブラジル最南部、リオ・グランデ・ド・スール州の州都。ポルト(Porto)は港、アレグレ(Alegre)は陽気という意味。人口は148万人でブラジル10位の規模(2016年時点)。白人(80.7%)、混血(10.7%)、黒人(8.0%)、その他(0.6%)で構成される。ヨーロッパからの移民が多く、ヨーロッパ風の建物が多い。また隣国ウルグアイやアルゼンチンからの住民も多い。サッカークラブチームのグレミオFBPAとSCインテルナシオナルの本拠地で、ロナウジーニョをはじめとする数多くのサッカー選手の出身地である。

ウルグアイ

主人公エルネストの母国。首都はモンテビデオ。ブラジルとアルゼンチンに挟まれ、スリナムに次いで南米大陸で2番目に面積が小さい国。ウルグアイ人は「大国ブラジルとアルゼンチンが喧嘩しないようにウルグアイは作られた」という自虐的なジョークを好む。ラテンアメリカ人には「明るくノリの良いラテン気質」というステレオタイプがあるが、その中でウルグアイ人は、地味で憂鬱(メランコリック)ととらえられることが多い。
政治的には、1973年、クーデターによって軍部が政治の実権を握り、労働人口の1/5が治安組織要員という警察国家体制下で市民への弾圧が激しく行われた時代がある。1985年に民政移管された。現在は民主主義国家として小国ながらも存在感を見せている。

映画『自転車泥棒』

1948年のイタリア映画。ヴィットリオ・デ・シーカ監督。ネオレアリズモ映画の代表作であり、ラテンアメリカの60年代の政治の季節に学生たちに人気があった。

ポルトガル語とスペイン語

ブラジルの公用語は、ビアが話すポルトガル語。イベリア半島のポルトガル語と若干異なり、アメリカ英語とイギリス英語の違い以上に文法や発音などに大きな違いがある。エルネストとハビエルが二人の会話で使うのは、ウルグアイ、アルゼンチンの公用語であるスペイン語。
ポルトガル語とスペイン語は類似性が高く、単語も共通するものがあり、「どちらか一方ができれば話が通じる」と言われるが、実際には発音が大きく異なり、共通する単語でも発音が異なるため、文字で見れば意味が想像できても、基礎的な語学力がないと読み書きや会話はさほど簡単ではない。なお映画の舞台ポルトアレグレにはウルグアイからの移住者が多いため、スペイン語とポルトガル語をまぜこぜにした「ポルトニョール」も話されている。

マテ茶

マテ茶は、北中米のコーヒー、欧州の紅茶と同じ様に、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、ウルグアイという南米の代表的な国を中心に、広く愛飲されている国民的なお茶。ブラジル、アルゼンチン、パラグアイの3カ国で栽培されていて、ブラジルがマテ茶の最大の生産地である。 ミネラル、特に鉄分とカルシウムの含有量が高く、ビタミンAとBを多く含み、葉緑素も豊富に含むことから、「飲むサラダ」とも言われている。映画に登場した「マテ壺」にマテ茶を半分以上入れ、「ボンビージャ(ボンビリヤ)」という茶漉し付きのストロー(金属製が主流)を差し込んで、ちびちび飲んではぬるめの湯や水を足して一日中を過ごすのがその楽しみ方だが、ブラジルでは缶ドリンクで飲むのが主流。エルネストがマテ壺にボンビージャでマテ茶を飲んでいるのはウルグアイ人らしさを感じさせる。

ベネデッティの「なぜ私たちは歌うのか」と「休戦」

マリオ・ベネデッティ(Mario Benedetti )は、1920年9月14日生-2009年5月17日没。ウルグアイのジャーナリスト、小説家、詩人である。邦訳は少ないが、スペイン語圏では20世紀ラテンアメリカで最も重要な作家の1人とされ、2009年に亡くなった際には各国で大きく報道された。軍事独裁政権下にあった1973年から1985年まで、ブエノスアイレス、リマ、ハバナ、スペインに亡命。民主制が復活すると、母国のモンテビデオとスペインのマドリードに暮らした。 映画に登場する「休戦(La tregua)」は中年男性が日記をつづる形式で書かれた初期の小説で、1974 年に映画化され、アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされた。政治的な活動や発言に深く関わりながらも、その作品にはロマンティックな側面が失われることはなく、愛や友情をテーマにした詩は今も南米の若者によく読まれている。映画では、人気の高い詩「なぜ私たちは歌うのか」をエルネストが叙情詩テロの場面で披露し、またその詩に本作の音楽を担当したレオ・ヘンキンがオリジナル曲をつけ、エルネストとビアのダンスシーンに使っている。